劇場の支配人であるナディールからその話を始めに持ちかけられたときは話半分に聞いていたパーシヴァルだったが、ある悪巧みを思いついてからは、俄然やる気になったのであった。
クリスはビュッデヒュッケ城の執務室で、溜まった書類の決済を済ませていた。軍師であるサロメとシーザーは諸兵の巡察に出ていて、仕事の合間を見て一人で遅めの昼食を取っていた。
楽しいとは言い難い仕事というせいもあり、始めはパーシヴァルの来訪を歓迎していたクリスだったが、用件を聞いた途端に一気に機嫌を悪くしてしまった。
「断る!」
パーシヴァルの話を途中まで聞いたところで、クリスはきっぱりはっきり断言して、ぷいと横を向いてしまう。
その様子を余裕の笑顔で見て、パーシヴァルは言葉を継いだ。
「しかし、クリス様。ナディールがクリス様にしか頼めないと言っているのですよ」
クリスは顔をしかめた。
「私はああいうのが苦手なんだ。大勢の人がいる前で台詞を喋らされて、大げさな身振り手振りで演技をするなんて御免だ。大体、その『眠れる森の美女』という話だって、私は聞いたことも無いんだぞ」
ナディールは次に劇場で上演する新作として「眠れる森の美女」を考えていて、その主役である姫役を是非クリスに演じてもらいたいと、パーシヴァルを通じて頼んでいるのだった。
「私も良くは知らないんですが、どうも北方で伝わる童話らしいですよ。ナディールがいうには、魔女の用意した針に指を刺して眠りに着いてしまう姫君の物語だそうです」
パーシヴァルは彼にクリスを説得するよう頼んだ時の口調を思い出し、それを真似て言った。
「『美しい罪の無い姫が魔女の計略によって眠りにつき、訪れた王子によって長き苦しみから解放されるのです……何というロマン!観客はその美しい物語に魅了されること間違いありません……!!』……だそうですよ」
やや顔を赤くして、クリスは首を振った。
「だから、余計に嫌なんだ。新作として上演するなら、なおさら私よりもっと演技の上手い女性に頼んだほうがいいに決まっている。……あんまり自分で言いたくは無いが、その、私は演技が下手だし……」
パーシヴァルは語尾を濁したクリスを横目でちらと見た。
「クリス様は、私が別のご婦人を相手に演技をしても良いと仰るわけですか、残念ですね」
落ち着こうとして紅茶を口に運んでいたクリスは、パーシヴァルの唐突な発言に危うくカップを取り落としそうになった。
「なっ……!?な、何を言ってるんだお前はっっ。いいとか悪いとかそういう問題じゃ……」
「私がお相手ではご不満ですか?」
「……だから、そういう問題じゃなくて……」
こういうことには割と押し切られがちなクリスがなおも承諾を渋るのは、相手役がパーシヴァルであるという点もあった。
日頃、何かとクリスを、本心なのかそうでないのか、からかうようにして構ってくるパーシヴァルを相手に恋物語など、とても平常心で演じられる筈が無い。
かといって、指摘されたとおり、パーシヴァルが別の女性を相手に演じる事を考えるのも、何やら胸のあたりがもやもやとしてすっきりしない。
「演技の方は、何も心配要りませんよ。最初に二言三言喋った後は、ずっと眠った振りをしていればいいんですから」
駄目押しをしても、まだ答えを迷うクリスを見ながら、パーシヴァルは次なる押しの一手を考えていた。
実は、ナディールが最初にパーシヴァルに王子役の話を持ってきた時、相手の姫役はクリスに決定していたわけではなかった。
パーシヴァルが劇に出る交換条件として、クリスが姫役を演じる事を持ち出したのだ。
クリスが引き受けなければ、パーシヴァルも役を受けないという条件になっていた。
従って、先ほどクリスに言った言葉は実は詭弁なのである。
まだ悩んでいる風のクリスに、別方面から攻めてみる。
「それに、こういう娯楽は軽視するべきではないと思いますよ。結構、兵たちの間でも劇場は人気が高いですし、戦いの間の息抜きは欠かせないと思いますが」
クリスはまた一つ、パーシヴァルに押されてしまった。このままだと、パーシヴァルに押し切られてしまう。追い詰められたクリスは、苦し紛れに何とか一つの策を思いついた。
「分かった、それなら交換条件だ」
「何でしょう?」
「……えーと、ああ、そうだ、今、ナディールの劇場では『狼少年』を上演しているんだったな?」
「確か、そうでしたね」
「その『狼少年』で、お前が羊役を演じたら、私も引き受けてもいい」
「……」
あまりに意外な切り返しに、パーシヴァルは思わず沈黙してしまった。
二枚目で通っている疾風の騎士が、羊の着ぐるみを着てめえめえ言わなければいけないのであろうか。
だが、パーシヴァルが逡巡したのはほんの一瞬だった。
「良いですよ、その交換条件、飲みましょう。何ならボルスの奴めも一緒にやらせますよ。その代わり……」
ちらとパーシヴァルに見られたクリスはぐっと詰まった。
やがて、渋々頷く。
「……分かった、引き受けよう。ただし、一回だけだからな!ナディールにもしっかりそう伝えておけよ!」
「かしこまりました」
気取った一礼を返したパーシヴァルは、にやりと笑むと、「ところで」、と言った。
「クリス様、眠り姫は最後にどうやって目覚めると思いますか?」
「え……?」
嫌な予感がしたクリスは、机越しに身を乗り出してきたパーシヴァルの小声を聞きつけると、一気に真っ赤になってしまった。
「な、何で先にそれを言わない!!さっきのは取り消しだ!」
「もう聞けませんよ」
おいしい役を勝ち取ったパーシヴァルは、実に楽しげに笑うと、一礼して踵を返した。
「これ以上お仕事の邪魔は出来ませんから、そろそろ失礼します」
「あっおい、パーシヴァル!」
引き止めるクリスの声など聞こえぬ風に、パーシヴァルはさっさと退室してしまった。
後に残されたクリスは思わず頭を抱え、先ほどのパーシヴァルの台詞を思い返して、自分の失態を罵ったのだった。
――お姫様は王子の接吻で目覚めるんですよ。ご存知では……ないですよね。
「パーシヴァルの奴……」
当日、「眠れる森の美女」の初演は無事に済んだのかどうか、また、「狼少年」で、パーシヴァルとボルスは羊の着ぐるみを着たのか、それは女神のみぞ知る……。
・・・THE END・・・
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